〜エリート街道脱輪から、年商1億の「波」を掴むまで〜

【第一章】 挫折と覚醒:オリンピックの夢、そして「自ら機会を創り出し」

わが社の代表、永関の人生は「理不尽」から始まりました。転校先でのいじめ、荒れかけた心。しかし、憧れの美人教師による「愛の説教」で一念発起。ガリ勉へと変貌し、地元亀戸中では生徒会長まで上り詰めました。
名門高校へ進学し、今度はスポーツの神様が降臨。インターハイ出場を果たし、鼻息荒く名門大学へ推薦入学しますが、そこで待っていたのは「化け物級のアスリートたち」。 「一般人に毛が生えたレベルの自分では、五輪の土俵にすら立てない」 早々に悟った永関は、体操競技を引退。しかし、この時培った「身体能力」と「教える技術」が、後のスクール運営の源流となります。

【第二章】 疾風怒濤のリクルート時代:ネギを投げられても、夢は捨てない

友人と興した最初の起業は、あえなく撃沈。東京へ戻った永関が門を叩いたのは、昭和最大の起業家・江副浩正率いる株式会社リクルートでした。 志望動機は「起業家としてのノウハウを盗むため」。そして配属先に青山・自由が丘を選んだ理由は、「きれいなお姉さんが多そうだったから」。
しかし、入社直後に激震が走ります。「リクルート事件」発生。 営業先では「この犯罪者集団が!」とラーメン屋の店主からネギを投げつけられるなど罵倒される日々。それでも毎日100軒の飛び込み営業を完遂し、三千里薬品の部長から頂いた初注文の喜びを胸に、江副氏の名言「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」を骨の髄まで叩き込みました。

【第三章】 サーフィン、土下座、そして「なみのりこぞう」誕生

その後、(株)やまと(現エームサービス)で営業責任者を歴任。空前のサーフィンブームに乗り、「サーファー=モテる」という安直な確信のもと、海へ通い詰めます。
結婚後、義父の経営する「日本原色印刷工業」へ入社。栃木弁を操る「人たらし」の達人であった義父から商売の真髄を学びつつ、永関の頭の中はサーフィンのことで一杯でした。 車を持たない仲間を海へ運ぶ『あいのり@GOGO!』を開始。そこで直面した「車内にボードが積めない」という問題を解決すべく、下町工場の協力を得てDIYで車内キャリアを自作。これが「なみのりこぞう」の原点です。
 
しかし、仕事と波乗りに没頭しすぎた結果、「赤ん坊を放っておいて何が海だ!」と義父に激怒され、事務所で土下座。 追い出される寸前の大ピンチから、本格的な独立への道が始まりました。

【第四章】 ネットの荒波へ:ヤフオクから実店舗オープンへ

ネット黎明期、永関はリクルートで培った先見の明を発揮します。「これからはネットの時代だ」と、ヤフオクやHPで自作キャリアの販売を開始。 第1号のフック式キャリア、第3号の「ちょい悪オヤジのベンツVクラス専用キャリア」など、ユーザー目線の開発が爆発的な反響を呼びます。
 
2011年、震災の混乱の中、地元・亀戸に実店舗をオープン。 「棒(キャリア)だけでやっていくのは不安だ」とアパレルやスケートグッズも展開。地元のスケーターと共に「江東区にスケートパークを作る会」を発足させるなど、地域への恩返しにも奔走しました。

【第五章】 灰からの復活、そして年商1億へ

時代の変化により義父の印刷会社は廃業しましたが、そこで得た「内製化のノウハウ」は、現在のスピード感あるEC運営の武器となりました。印刷業での知識は、ホームページ製作、取扱説明書など多岐にわたって今でも生きている。
2020年、念願のスケートショップ『BlaZe』をオープン。コロナ禍のアウトドアブームと五輪の金メダル効果で追い風が吹くも、場所の確保に苦戦。残念ながらショップは文字通り「ブレイズ(炎上)」し、灰となって閉店。
しかし、本業のキャリア事業は止まりません。 「デザイン性も大事にしろ!」とアルバイト(現社員)から詰め寄られ、金具をスタイリッシュなブラックへ一新。地元のメッキ業者廃業という危機も、執念で探し当てた「カチオン塗装」への転換で乗り越えました。積むだけでなく、見た目や操作性、耐久性なども日々研究。国産車はもちろん、外国車まで様々な車種に対応しており、累計販売台数は5万台を突破。

そして現在

第6期、ついに売上高1億円を突破。 大手企業様からの大型受注や、ディーラーはもちろんカスタムショップ、大手現在の推しは「NewJeans」。社員も増え、プロダクトだけでなく組織化なども試行錯誤しながら、なみのりこぞうは今日も「自ら機会を創り出す」べく奮闘しています。

代表・永関より一言

「私の人生、波乱もあれば土下座もありましたが、常にお客様と同じ目線で『これがあったら便利だな』を形にしてきました。これからも、遊び心を忘れない大人のための『最高の秘密基地作り』をお手伝いします!」